お蚕さんに対して

お蚕さんに対して

春になると思い出す方がいます。

その方は、90歳を超えたおばあちゃん。

子どものころからずっと養蚕を続けて、もう80年はお蚕とともに暮らしてきたといいます。お蚕の飼えない冬の寒いころは、家の中にこもって年相応なおばあちゃんなのに、雪がとけて、温かくなってきて、桑の木の幹色が緑になってくると、ソワソワし始めて背筋が伸びてくるという話。

幼い頃は、父母や祖父母がやっていたのを一緒に手伝い、大人になってからはご主人とともに養蚕をやり、ひところは年間5トンもの繭生産を行う大養蚕家であったとのこと。ご主人が亡くなってからは、息子さんとともに、桑を仕立て、お蚕さまを育ててきました。長い間お蚕を飼い続けてきたのに、その年の気候や天気、養蚕道具の変化などで、同じ飼育は一度もないとおっしゃっていました。

「でも、いつの時代でも、ただ一つ変わらないことは、お蚕の気持ちになって考えるということなんだよ」と、
お蚕を慈しむような眼差しで、いつも言われました。

「だってそうでしょ。自分がいやなことは、お蚕だっていやだと思うんだよ。お蚕は自分の子どものようだもの。子どもがお腹を空かしてたら、もっと美味しい桑を食べさせてあげたいと思うし、そんな息苦しいところで過ごしたくないと思えば、快適にさせてあげたいと思うし。」

その前提の中で養蚕技術は培われ、連綿と受け継がれてきたのでしょう。
よい繭をつくることを目的として丹精込めて飼育する養蚕、そして、その繭は糸になる。そこには、お蚕の命をいただいて成り立つという産業の宿命があります。

カイコは、単なる昆虫のカイコではなく、お蚕さまになる。コメをお米と呼ぶように、飯(メシ)ではなくご飯と呼ぶように、私たち人間はいつの時代も敬意をこめてこの言葉を呼んできました。

おばあちゃんは94歳の秋まで元気にお蚕を飼われて、その年の冬にお亡くなりになりました。
だけど、その想いは受け継がれていく。

今度は私たちが、おばあちゃんから託された気持ちを伝えていかなければ、と思うこの春です。

(執筆:シルクキュレーター 林久美子)